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「念」の持つ力

「念」とは

「念じる」ということは、つまり強く思うことです。ひとくちに「念」といっても、さまざまな形があるのです。

良いことを強く思うことで、願いが叶うというのも「念」でしょうし、逆に悪いことが起きるように思うのも「念」なのです。

たとえば、「この人と一緒のグループになれたらいいな」と強く思っていたら、本当に同じグループになれた…などということはありませんか?

また、貴女が怒りにまかせ「あの人、会社を辞めてしまえばいいのに!」と強く思っていたら、その人が退職することになったり、子供のころ、どうしても体育の授業をやりたくなくて、「雨が降ればいいのに」と強く思っていたら、当日雨が降って来たというようなことも、実際体験されている方は多いのではないでしょうか。

強く思うことで物事がその通りに進行していくのは、「念」の持つ力の最たるものなのです。

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歴史における「念」の力

「強く思う」ということで、「念」と「テレパシー」は混同されがちです。

しかしそこには大きな違いがあります。

「テレパシー」は、強く思うことで、相手の心がわかったり、自分の考えていることが相手に伝わったりすることなので、発しても肉体的な影響を及ぼすことはありません。 しかし「念」は違います。

プラスの力に使えば良いのですが、「怨念」のようにマイナスの方向へ突き進んでしまう時、 念じた本人にも影響を及ぼしてきます。

「怨念」というと、まず思い浮かぶのが「丑の刻参り」なのではないでしょうか。 怨みのある人間を不幸にしたいという一心だけで念を送り、深夜、誰にも見られないようにしながら、何日間も参るのです。

しかも、これだけ科学が発達した現代においても行なわれ続けているというのですから、恐ろしいことです。

昔から、「人を呪わば穴二つ」という言葉があります。

他人を呪い殺そうと墓穴を掘るものは、その報いで自分の墓穴も掘らなければならないという意味です。

人の「念」というものは、それだけ強い力を持っているということなのです。

また、歴史の舞台においても「怨念」は、大きく影響をしているのがわかります。ここでは、歴史上の人物が怨念を抱くあまり、怨霊となり世の中に影響を与えたという話をいたしましょう。

■菅原道真すがわらみちざね
現在では、学問の神様として有名な菅原道真。宇多天皇に重用され昇格し、右大臣の職にまでのぼったものの、左大臣である藤原時平により大宰府へと左遷され、現地で憤死しました。その後、京の都に異変が相次いで起こります。まず道真を左遷した時平が病死。さらに清涼殿の落雷により、朝廷の要人に多くの死傷者が出たのです。これを道真の怨霊と恐れた朝廷は、北の天満宮を建立し、祟りを鎮めようとしました。
■早良親王さわらしんのう
桓武天皇の実弟で、皇太子であった早良親王でしたが、藤原種継暗殺の首謀者と疑いをかけられ、皇太子の位を剥奪された上、淡路島へ島送りにされることとなってしまいます。 無実を訴え、断食で抗議をしていたものの、淡路島に向かう途中で憤死。しかしその直後から、長岡京は次々と異変に見舞われることに。桓武天皇の母親、正室、側室、そして側近たちが次々と変死。都は災害や飢饉に襲われたため、これは早良親王の祟りであると恐れられたのです。このことで、桓武天皇は長岡京を捨て、平安京を建立。幾度の鎮魂の儀式ののち、800年に怨霊鎮魂のため、早良親王を崇道天皇と追従しました。
■平将門たいらのまさかど
平将門は、関東一円を治めたことを機に、京都の朝廷に対抗して自らを「新皇」(新しい天皇)と名乗ったため、謀反と見なされ討伐されました。はねられた首は京へと運ばれ、七条河原でさらし首にされます。しかし3カ月以上たっても将門の首は腐らず、目を見開き、あたりをにらみつけるような形相でいたのです。あるとき歌人がこのことを歌にしようとしたところ、将門の首が大声をあげて笑い、雷鳴とともに「身体をつけて今一戦(いまひといくさ)せん。胴体はどこだ!」と叫んだといいます。ある日、地響きと雷鳴が轟く中、将門の首は天高く飛びあがり、置き去りになった胴体を求め関東の方向へ飛んで行きました。その首が落ちたのが、東京大手町のビルの合間にひっそりとたたずむ平将門の首塚の場所だといわれています。 なぜ将門の祟りが恐れられているかといえば、近年になっても影響を与えているからでしょう。大正時代、将門の首塚は大蔵省の一角に位置していました。関東大震災に見舞われ、大蔵省を修復するために首塚が取り壊されたところ、時の大蔵大臣、工事関係者などが次々と死亡。祟りを恐れた大蔵省は、首塚を再建し、鎮魂祭を執り行なったそうです。 さらに終戦後。進駐してきたGHQが、将門の首塚を取り壊そうとしたところ、ブルドーザーが横転するなどの事故が相次ぎ、結局取り壊しは行なわれませんでした。 これらのことが、将門の祟りとして恐れられました。

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現在にも生き続けている「念」の力

この、強い怨念を抱き、さまざまな災いを起こした祟り神は、その後どうなっていったのでしょう。

菅原道真の祟りを封じるため、「天神様」として崇められてきましたが、道真が生前優れた学者・詩人であったことから、いつからか「学問の神」として信仰されるように変わっていきました。現在では、多くの受験生らに信仰されています。

また早良親王は、御霊信仰の代表的な人物として挙げられています。御霊信仰とは、怨霊を鎮め神として祀れば、かえって鎮護の神となるというもの。早良親王は、上御霊神社、崇道神社、藤森神社に祀られ、現在でも信仰されています。 平将門は、祟りの話が先行し、とても恐れられていますが、江戸時代から神田明神に、東京鎮守の神として祀られています。一時、将門神社に遷座されましたが、昭和29年にふたたび本殿に奉祀され、今日も東京をお守りくださっています。

このように、「念」というものは、念じる者の思いの強さと比例して、その力を発揮します。 人々に災いを与えた怨念も、神として崇め奉ることで、陰の力から陽の力へと転じ、強大な力はそのままに、今度は人々に幸せをもたらすものになっていったのです。

思いの強さにより、強大になり得る「念」の力。

貴女の願望を叶えるために、その「念」の力を使えるとしたらどうでしょう。

「念」の持つ良い力だけをあますことなく使える者にゆだねれば、貴女の願いが叶わないはずがないのです。

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電話鑑定慈念の霊能者は、いずれも人格者ぞろいです。念を正しく操り、貴女の想いを確実に成就するために、持ち得る念能力のすべてを捧げ、驚くべき力を発揮します。

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